
『高卒底辺・年収200万』が、公認会計士になりポルシェとスケボーで人生を謳歌するまで――就活全滅・会計士試験6回落ちの地獄から這い上がった全記録
第2章:【地獄編】会計士試験6回落ち。泥沼を抜ける「環境ハック」と「確率論」
「一発逆転」の戦場選定と、最強のカードとの出会い
当時自分は、「どうすれば今の底辺から抜け出せるのか」と、ボロアパートでMBA、マーケティング、経営学といった「金になりそうな本」を片っ端から乱読していた。
その中で見つけたのが「公認会計士」という存在だった。弁護士や医師、税理士は、そもそも高卒の自分には受験資格すらない。だが、日本最高峰の資格でありながら、会計士だけは学歴不問で誰でも受験できた。中卒で自動車整備士だった父親が「資格」で救われた背中を思い出した。
持たざる者が、エリートたちのルールをひっくり返して一発逆転するには、この「最強のカード(難関資格)」をハックするしかない。学歴不問で年収1,000万を狙える、最も期待値の高い戦場だ。「これだ。自分の人生を変えるのはこれしかない」と確信した。だが、このプラチナチケットを手に入れるための壁は異常なまでに分厚かった。
第一関門の「短答式試験」を突破し、第二関門の「論文試験」に受かって初めて、世間一般に言われている「公認会計士試験合格」となる。しかし、ゲームはそこで終わらない。その後さらに「2年間の実務経験」と「3年間の勉強」、そして「修了考査」という最終試験を経てようやくこの「プラチナチケット」を入手できるのだ。
気の遠くなるような長期戦。だが、この難攻不落の要塞だからこそ、ハックし甲斐があるというものだ。
人生の「ソースコード」に化けたシステム手帳
会計士を目指すと決めた直後、自分は1冊のシステム手帳を手に入れた。
システム手帳には、勉強のスケジュール管理以外に、自分の人生でやりたいこと、やりたくないことすべてを書きなぐり人生の仕様書(魂のリスト)として持ち歩いていた。
それを見返すことで、自分がどこへ向かっているのか見失わなくするためだ。
ここで重要なのは、自分にとって「公認会計士」という資格は単なる通過点、つまり「手段」に過ぎなかったということだ。資格を取ること自体が目的ではない。その先にある「やりたいこと」「やりたくないこと」を叶えるための、最強のカード(武器)を手に入れることが真の狙いだった。
自分だけの夢と希望を書き記したシステム手帳を完成させた瞬間、ボロアパートの湿った空気が一変した気がした。
25歳高卒底辺、年収200万。客観的に見ればただの『バグった痛い奴』だが、自分の脳内ではすでに20年後の成功が『確定事項』としてレンダリングされていた。
「なんとなく勉強する」という選択肢は消え去り、「この仕様書を現実化するための最短ルートを爆走する」という単一のコマンドだけが実行されるようになったのだ。
最初の計算ミスと、地獄の始まり
こうして自分は、試験勉強という名の修羅場へと足を踏み入れた。
当初、自分は完全にこの試験をナメていた。
高校生から受験初期までは、「自分は特別でなんでもできる」という万能感があったのだ。だが、振り返れば、この勘違いこそが「今までの底辺生活の苦労に比べれば、机に向かう試験なんて余裕だろ」と高を括り、最初の地獄を耐え抜くための初期ブーストになっていた。
だが、試験は甘くない。本屋で過去問を見て全く理解できなくても、「勉強すれば解けるようになる」と純粋に信じていた自分は、最初の選択で運命を分ける決断を迫られる。
独学の罠と予備校への投資
独学は「天才」か「バカ」がやることだ。
自分は天才じゃない。バカが独学を続ければ、一生受からない迷宮に迷い込むだけだ。自分は迷わず予備校に投資することを選んだ。
将来、予備校代なんて1ヶ月の「知略(プロとしての稼ぎ)」で回収してお釣りがくる。毎年法改正がある会計士試験において、最新の情報(フルセット)をカネで買うのは、最短で脱獄するための最も合理的な判断だ。
手持ちは半年で貯めた100万円から引っ越し代を引いた60万円。もしもの時を考え、約70万円の講座をローンを組んで申し込んだ。
だが、当時の自分は「3つの致命的な計算ミス」を犯していた。
①「1.5年コース」という遅延(レイテンシ)
自分は1.5年かけて合格するコースを選んだが、これは大失敗だった。入門期は暇で、無駄な「手待ち時間」が発生する。最初からフルスロットルで飛ばすには、1年前のコースを申し込み、すべてのテキストと答練(問題集)を手元に置いた状態で一気に処理すべきだった。
②「講義」という巨大な時間泥棒
生講義とDVD講義のセットを申し込んだが、馬鹿正直に講義を聞いてしまった。これは人生の浪費だ。本質は自習(アウトプット)にある。もしやり直すなら、講義は一切聞かず、答練とテキストを回す時間だけにリソースを全振りする。どうしても不安なら、ネット配信を2倍速で消化する。試験の合否は、椅子に座って話を聞いた時間ではなく、「自習で問題を解いた回数」で決まるからだ。
③「生活維持」によるインフラ(睡眠)の崩壊
自分は週3日、昼から夜11時までバイトを入れ、月16〜17万円を稼ぎながら家賃5万のアパートで勉強する算段を立てた。バイトのない日は朝7時から夜10時まで予備校に籠り、バイトのある日も朝7時から出勤前まで予備校でテキストを開く。
一見すれば、死に物狂いで努力している美しい光景だ。
だが、一人暮らしの家事と深夜バイトの代償は「慢性的な睡眠不足」だった。脳(OS)のメンテナンスを怠れば、集中力は底を打ち、処理能力は激減する。
そして何よりタチが悪かったのは、自分自身が「単に長時間机に向かって『勉強している風』の自分に酔い、興奮していただけ」だったことだ。
実際の質(パフォーマンス)は全く伴っていないのに、「これだけ椅子に座っているんだから前に進んでいるはずだ」と錯覚する。成果(アウトプット)ではなく、投下した時間(インプット)の長さで自分を慰める。これこそが、かつて工場のラインで思考停止していたのと同じ、凡人が最も陥りやすい自己満足の罠だった。
こうして自分は、気付けば長期戦の泥沼に足を踏み入れていくことになる。
弾薬(金)の枯渇と、プライドの損切り
数回の不合格という現実の鉄槌を食らい、「自分は特別ではない」ことを完璧に自覚した。この戦いの原資は「金」だ。弾薬がなければ戦場には立てない。
初学の70万円は完全に溶けた。次の投資である「上級コース」には50万円かかるが、ギリギリの生活を送る自分にそんな金は残っていなかった。
半年で100万貯めても、数千時間の勉強を要する会計士試験では資金が底を突くリスクがある。
自分は、すべてのプライドを捨てて、親に「肩代わり」をお願いした。「大学に行くための費用だと思って、自分に投資してくれ」と頭を下げた。
これを「挫折」や「甘え」と捉えるのは間違いだ。これは目的を果たすための「究極の兵站(ロジスティクス)確保」である。プライドを捨てて「合格」という結果を最優先し、借りた金は将来の「高単価な稼ぎ」で何倍にもして返せばいい。それが持たざる者の逆襲(プロのハック)だ。
親の援助を背景に、自分は再び戦場に戻った。だが、親の負担を減らしたい一心で、日数を減らしながらもバイトは続けていた。
この試験に受かる連中の多くは、有名大学の学生か、無職で専念している奴らだ。高卒で勉強法も知らない自分がガチで勝負するなら、「戦い方」を変えなければならない。だが自分は、「バイトの時間で勉強時間を削る」という絶対的なミスを犯し続けていた。
さらに、短答と論文の両方に受かる必要がある中で、論文を意識しすぎて「短答特化」の勉強配分が足りていなかった。(皮肉にも、これが幸いしてのちに論文は1発で受かることになるのだが)。
絶望のドン底と、ハッカーの覚醒
必死に勉強したが、結果はすぐには出なかった。2009年から始まった挑戦は、気付けば2012年を迎えていた。
そして、6回目の短答式試験の不合格を見た時、自分の心は完全にへし折れた。
親になんて報告すればいい?周りになんて言えばいい?「またダメだった」――その言葉すら、口に出すのが恐ろしかった。
自分の努力は、一体何だったんだ?結局、自分は何者にもなれないのか。一生、この隣人の咳払いが聞こえるボロアパートから抜け出せないのか。
将来に対する圧倒的な恐怖で、ある朝起きた時、手がガタガタと震えていた。
自分は一度、勉強の全てを放棄した。だが、何もしない空白の時間の中で、自分自身への強烈な問いが湧き上がってきた。「HP運営やDJの時と同じように、今回もカタチにせず、中途半端に終わらせるのか?」
資格取得は、もはや単なる年収アップの手段ではなくなっていた。
「中途半端に終わる自分」を殺し、「現状を本気で変える」ための聖戦。真の逆転は、技術や知識ではなく、「今の自分を許せない」という強烈な自己否定から始まるのだ。過去のあらゆる挫折をガソリンとして注ぎ込み、自分は再起を誓った。
世間の自己啓発本は「ポジティブに夢を描け」と説くが、持たざる者にとってそんなものは綺麗事だ。
自分のモチベーションの源泉は、常に「圧倒的な劣等感」と「将来への恐怖」だった。現状の延長線上にある、「一生このボロアパートで隣人の咳払いを聞きながら死んでいく」という絶望的な未来を激しく拒絶する心。
「あんな底辺には二度と戻りたくない」「このまま中途半端に終わる自分を殺したい」
そのドロドロとした負の感情(怒りと恐怖)こそが、エリートたちを追い抜くための爆速のロケット燃料(推進力)へと変わった。
自分は、すべてを捨てて、もう一度だけチャレンジすると決めた。バイトは完全に辞めた。親にも「これが最後だ」と区切りを伝えた。そして、自分の勉強法を根本からハック(再構築)した。合格者3人から、スケジュール、勉強時間、テキストの使い方、直前期の過ごし方を聞き出し、そこから「自分に最適な構造」だけを抽出して組み立てた。
「確率論」の覚醒
そして自分は、もう一つの冷徹な真理に気づいていた。「不合格は、ただの『期待値』の問題だ」ということ。
当落線上の実力があれば、不合格のたびに、合格圏内のライバルは卒業して戦場から消えていく。残った受験生の中で、自分の相対的な順位は勝手に上がる。実力を維持し、試行回数(n)を増やせば、合格しない確率は数学的にゼロに近づく。
「失敗は、『当たり』を引くための正当なコスト(下振れの消化)に過ぎない」
武器を研ぎ、確率が収束するまで「辞めない」だけで、一発逆転は必然になるのだ。
逆転の合格と、スケボーの凱旋
迎えた5月の短答式試験。手応えは最悪だった。
点数も低く、従来なら確実に不合格のライン。だが、当時の会計士試験は、かつてない激震の中にあった。「合格者が多すぎて就職難である」という社会問題を受け、金融庁が合格者数を極端に絞り込む「合格者抑制」の真っ只中。門はこれまでになく狭まっていた。
だが、蓋を開けてみて驚いた。あまりの難易度に受験生が総崩れとなり、合格ライン(ボーダー)が歴史的な低水準まで暴落していた。合格者数を絞るという「逆風」と、試験の難化という「荒波」。合格率はわずか4%。その、誰一人として笑っていない地獄のような生存競争の果てに――。自分は、受かっていた。
信じられなかった。
【データが語るあの日の地獄】
平成24年、第II回短答式試験。受験者10,722人に対し、合格者はわずか454人。合格率は4.23%。合格ラインは、難化の影響で67%まで引き下げられていた。1万人以上が絶望に沈むなか、その「454人」の枠に、自分の名前は刻まれた。
8月の論文試験。鬼門の短答を突破した自分は、「ダメならまた受ければいい」という執着のないリラックス状態(ゾーン)に入っていた。企業法は手応えがあったが、監査論の大問ひとつはほぼ白紙。だが、相対評価の中で「取れる箇所を確実に取る」という完璧主義の損切りが奏功した。
そして、運命の11月の論文合格発表当日。起きた時間は、すでに発表時間を過ぎていた。自分は期待もせずにサイトを覗いた。最初は自分の番号が見つからなかった。「やっぱりダメだったか」と息を吐いた。だが、番号の並び順が「上から下」ではなく、「左から右」に大きくなっていることに気づき、もう一度画面を見直した。
……あった。自分の受験番号があった。
「マジか……マジか……マジか!」10回くらい呟いたと思う。そして、家の中で大声を叫んだ。「よっしゃー!!」
すぐに親に電話した。合格を伝えた瞬間、これまでの4年間の地獄がフラッシュバックし、思わず涙が溢れ出た。本当に、本当に、死ぬほどきつかった。中途半端だった過去のコンプレックスを、圧倒的な事実で完全に清算した瞬間だった。
自分は、画面の数字だけではどうしても信じられなくて、スケボーを掴んで家を飛び出した。三年坂の金融庁の掲示板に貼り出された自分の名前を、この目で直接確かめるために。
霞が関駅に降り立った自分は、金融庁までのストリートを力いっぱいプッシュした。


泥臭く、執念深くシステムをハックし続けた先にだけ、脳が震えるような「マジか」が待っている。かつての「万年補欠」は、ついに国家の最高峰へと駆け抜けたのだ。
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